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Author:バニーマン
映画ネタ、音楽ネタを中心に思いつくまま適当に書いていきます。 自分が忘れないための 日記のようなものです(^_^;)。 Instagram @kou_oku リンクフリーです。
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青森(と秋田)に行ってきました⑦
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【2018/12/03 13:51】 旅行ー東北
弘前にお泊りです。
お宿はビジネス・ホテル。 というのも、晩御飯が決定済みなので、食事なしということでビジネス・ホテル。
向かった先は、“津軽三味線ライブ あいや” 。 居酒屋ですが、店内で津軽三味線ライブがあるということでここに。

津軽三味線というと、映画ファンとしては斎藤耕一監督の“津軽じょんがら節”、 一般的には“吉田兄弟”を思い浮かべる人が多いと思います。 僕としてはそんな程度の知識ですが・・・。
で、お店の外見は三味線らしさは無い、店内は小さい。 30人、入れる・・・? その分、ステージは目の前。 ちょっとイメージとは違いました(笑)
僕等が入店した時点では、お客は僕等だけ、つまり5人。 すこし遅れて、女性一人と、男性一人。
もう少し後に、団体さんの予約が入っているとのことで、 僕等が帰るころに、その団体さんが入店しました。
店主?と、お客さんだと思っていた女性が津軽三味線を演奏しました。
津軽三味線は、弦楽器だけど打楽器と呼んじゃってもいいんじゃないかと、前から 個人的には思っていただけあって、目の前での演奏は迫力ありましたね。

僕等しかいないので、演奏終了後、演者の二人と世間話。
二人によると、津軽三味線の歴史は以下のようです。
弦楽器そのものの発祥は中東とされる。 その後構造的に変化しながら、インドを経て中国に入り、中国南部において「三絃」が成立。 その三弦が、15世紀以降、琉球王国(現在の沖縄県および鹿児島県奄美群島)で独自に発展し、 三線となった。 そして三線が沖縄を経て畿内に持ち込まれ、江戸時代中期に日本独特の三味線となった。 以降、三味線は日本各地の土着芸能と融合して様々に発達し、当時日本最北端であった津軽地方に おいて津軽三味線となる。 津軽三味線の楽曲の原型は、新潟地方の瞽女(ごぜ)の三味線と言われる。 その他、北前船によって日本海側各地の音楽が津軽に伝わり、津軽民謡は独特の発達をみる。
諸説あるようですが、中東→中国→沖縄→畿内→津軽というのは、ほぼその通りでしょう。 お二人によると、とにかく北前船の影響は大きかった、ということらしい。 食料品とかの物質だけでなく、あらゆる文化が北前舟によって、津軽に届けられたと。
日本以外のことはともかく、国内においては、形は似ていても実に違う楽器になりましたね。 楽器が違うというか、その奏でられる音楽が違うというか・・・。 面白いですね。

青森の食事について。
この“あいや”での食事ということではなく、旅行中全体においての感想です。 写真は無いです(^_^;)
先ずは“嶽きみ”。 トウモロコシのことですが、これが美味しかった。 とにかく甘い。 旬はちょっと過ぎているということでしたが、それでも美味しい。 天ぷらとコロッケを食べましたが、どちらも美味しかった。
ホタテの串焼き。 焼き鳥状態ですが、油で焼いてある・・・? 鉄板で焼いてあるのかな? 香ばしくて美味しい。 味は醤油味。
イカメンチ。 イカのゲソをメインにした揚げ物ですが、これも美味い。 海沿いの町ならどこでもありそうだけど、青森ならでは。
せんべい汁。 “せんべい”というのがどんなせんべいなのか、食べるまで分かりませんでした。 僕が食べたのは、すいとんの代わりにせんべいが入っていたような汁ものですが、 そのせんべいというのが“麩”みたいなもので、美味しかったです。
お土産。
おきな屋というお菓子屋さんの“たわわ”と“薄紅(うすくれない)” たわわは和風アップルパイで、薄紅は和風リンゴグラッセです。 その大きさ(と言うか小ささ!)にビックリしましたが、上品な甘さで美味しかったです。
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テーマ:東北旅行 - ジャンル:旅行
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